USJが転売チケットを無効に 転売屋のなす役割を考える
2016/09/11
USJが転売で入手したチケットの無効化を行った。これは正規の手段で購入できないという事態を防ぐためである。転売については存在自体は悪なのであるが、100パーセント悪と言い切ることはできない。
この記事では転売の持つ役割について考える。
まず最初に、日本には「せどり」なるものがあることを説明しておく。せどりは漢字で「競取り」と書き、骨董品を安く買って高く売るという行為である。安く売って高く売るという点では普通の商売と変わらないが、せどりの特徴は商品の希少性にある。この希少性というのが利益を生み出す。極端に手に入りにくいものは需要過多となり、価値は高くなる。つまり、手に入りにくいという性質から価値が生じ、高く売れるという仕組みである。せどりは一般的にオークションで行われ、人気商品には高値がつく。せどりで扱われるものにはマニア向けのものが多いが、USJなどのように一般向けのものも扱われている。
チケットについては、チケットの日にち変更が出来なかったり利用期間が決まっていたりするので、その場合は転売屋が仲介することで他の客が安くチケットを手に入れることができる。青春18切符は回数制かつ利用期間が決まっており、5回も使わないという人がチケット屋で売買する。購入するタイミングによって値段が大きく変わり、利用期限に近づくにしたがって安くなる。
せどりをする者は通称「せどらー」と呼ばれ、アーティストのファンからは忌み嫌われる。せどらーは利益を得るために商品を買い占め、その商品の価格を吊り上げる。正規の入手ルートから購入できない場合、消費者側はせどらーから購入するしかなく、結果として本来より高い料金で買わされる。
EC(電子商取引)が普及した現代では上記の一連の流れを仕組み化している者もおり、それで食べているという人もいる。仕入れから販売まで、クラウドソーシングではその手伝いをするような募集もある。店舗を持たない中古屋と言えばわかりやすいだろう。
誰が損をし誰が得をするのか
正規の手段で購入されない場合、元々の販売者は何らかの形で損害を被る。利益を得る人がいるということは損をする人もいるのである。件のUSJについて考える。USJでは、普通は行列に並ばされるのを並ばずに済むというエクスプレスパスというものが販売されている。このチケットは枚数が限定されているため、購入するには他の人よりはやく申し込まなければならない。そこで買い占めが起これば客はせどらーから買うしかなくなり、普通よりも高い料金で利用するハメになる。この場合得をするのはせどらーである。運営側は売り切れを起こしてしまったということで信用に傷が付き、利用者は正規料金で遊べない。
このように転売行為は転売する側が得をし、運営側と消費者が損をするという仕組みになっている。運営側は損をするので、対策を取らざるをえない。対策をしすぎることで消費者が楽しめなくなるということも多い。転売は基本的には害悪である。
転売が持つ意外な役割
しかし、転売が全て悪いというように決めつけるのには無理がある。マイナーな分野のものについては入手が厳しく、地方に住むものは買うことが出来ないことも多い。また回数制のチケットについて、余った分を別の利用者が使うことで消費者はより安い値段で使うことができる。前述した青春18切符は5回の回数券であり、余った分をチケット屋が買い取り別の利用者に売れば、元々の購入者は余った分をお金にできるし、余りを使う側は通常よりも安く利用できる。このように、転売屋が存在することで消費者がお得に楽しめるという場面も存在する。転売によって消費者は柔軟な買い物をできるのである。お得に楽しめたとなればリピーターとなることもあるので、短期的に見れば運営者が損をするものの、長期的にはWin-Win-Winになる。
転売の中には商品の値段がゼロのものも存在する。ダムで配布されているカードはそこに行くまでの手間や交通費がかかるため、ネットオークションに上がることもある。流木を売る人も存在し、これらはローリスクで利益を上げることができる。初心者せどらーにはもってこいである。買う側からすればいちいちその場所に行かなくても良いというメリットがある。
これらに示すように、転売には柔軟な消費ができるという特長がある。一見すれば悪い存在に見える転売も、時には全員に利益をもたらすのである。
結論:転売は必要悪
結局のところ、転売は存在自体は悪であるが、関係者全員に利益をもたらすこともあるというものである。つまり、必要悪である。転売の話をすると真っ先に消えるべきという意見が出るが、それは良い考え方とは言えない。運営側が対処できない細かい部分を転売屋が動いて対処している場合もあり、小回りがきくという点で一定の役割を果たしている。
世の中には完全な悪など存在はせず、そのどこかに何かしらのメリットがある。完全な良というものも存在せず、誰かが得をすれば誰かが損をする。要は見方であり、イデオロギーにしたがって一方的に考えることは得策ではないのである。