人間関係とコミュニケーションの教科書

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目に見えないものこそ気を配るべき 人より上を行く方法

      2016/09/11


世の中、目に見えるものだけが全てではない。大半の人々は目に見えるものだけを気にするが、大事なことというのは目に見えないところにある。成功や出世を考えているのならこの事実には気づかなければならない。

物事の要点というのは見えないところにあることの方が多い。ある企業が毎回載せている情報の中に、前回と違う点があればそこに事の本質が存在する。ある情報が削除された場合はその分野が振るわなかったことの現れであるし、ある分野が細分化して記載されていればその分野が栄えているということである。
最近の例ではTwitterがわかりやすい。ブログなどに設置するSNSボタンのカウント数が、Twitterだけ削除されてしまったのである。これは Twitterが振るわなくなったことを表している。他のSNSと同じようにいい感じであればそのままでいいのだが、カウントがなくなったということはそ れだけ存在価値が減少したということである。出すに値しない情報というわけである。

また、サークルやクラブなどで結果を出している人という のは裏で相当な努力をしている可能性が高い。みんなの前では普通にしているものの、その日の活動が終わった後も自主的にトレーニングをしているのである。 強い人というのは陰で努力しているのであって、みんなと同じ練習量なはずがない。出席率が低いからという理由でその人を弱い者扱いするのは間違いであり、 泥臭いところを見せないだとか手の内を晒さないという理由があってそうしているのである。他の者と同じようにしていては差がつかないため、当然の行為であ る。

世の中には出席点というものがあるが、出席点ほどいい加減なものはない。出 席率によって救済というのは甘やかしである。大学の講義は出席の度合いによって評価を上げたり落第を見逃したりするものが多いが、それは学生の質を低下さ せることに他ならない。試験の結果のみを考慮するというのは一見すると非情なように見えるが、それこそが公平な評価方法である。受講者がどんな性格をして いようが努力を評価するというのが評価としては妥当であり、その際どんな人物かなどということは考慮に入れるべきではない。
知識や技能の取得にひたすら努力する姿勢こそが誠実さであり、出席するだけというのは怠惰である。いくら出席率が悪くても勉強する人の方が熱意はあるとい える。出席だけするのはサボりもいいところであり、勉強していることの証明にはならない。それならばレポート課題で判断した方がまだマシである。出席ほど 不公平な評価方法はない。

物事の本質というのは見えないものである。誰も明確には口にしないため、自分で感じ考える必要がある。人の話というのは語られないところに本質があるため、誰かの話を聞くときは何を喋ったかではなく何を喋らなかったかを 気にした方が良い。要はスパイ活動と同じで、変化があったところを見るというのがポイントである。スパイというのは公開情報とうわさ話からブラックボック スの中身を考える人間である。断片的な情報から内部構造を判断するというのは大切で、それができれば話者が嘘を付いているかどうかまでわかってしまう。仮 定法を用い、「もしそれがそうであればこうなる」と考えることで全体の構造が見えてくる。

目に見えるものというのは一見して安全で真実のように見えるが、そうではない。本当に大切な点というのは目に見えないところにある。私たちは可視的かつ有形のものだけを見て安心してしまうが、本質を語っているのは不可視な部分である。

あ なたの身の回りにも陰で動いている人はたくさんいる。表では穏やかな人も裏では非常に攻撃的だったり、爽やかに見える人も裏では死ぬほど努力している。そ ういうところに気付けたならあなたは勝利への第一歩を踏み出したも同じである。大半の人間は目に見えるレベルで満足してしまう。もし人より上を行きたいのであれば見えない部分に着目するべきであり、裏で何が起こっているのかを考えなければならない。

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