つぶしが利くってじつは諸刃の剣だよ
「つぶしが利くから○○をやろう」
こういった言葉につられて選択をするひとは多いでしょう。数学や英語はその最たる例で、汎用性からみな絶賛します。どこにでも使えるようなものは一見して安全なように見えるでしょう。
しかし、そのような選択をすることは、何でも成功しないというリスクを取ることでもあります。
ある程度幅広く活動するうちに、自分の得意と苦手がわかってくるはずです。
もしわかったのならすぐにでも焦点を絞りましょう。
そこで一点集中で走り続けることで、広く浅くやった場合よりも大きな結果が出るのですから。
プログラミングの才能に気づいたのならひたすらアプリを作ればいいし、運動神経に気づいたのなら一日中練習すればいい。
才能に気づいた段階で他のものを捨て、その方面だけに尖らせる。これを意識的にやれるかの差はでかいです。
つぶしが利くということばに甘えて中途半端になるというのは、いちばんダメなパターン。
せっかくの努力も水の泡になってしまいます。
汎用性のあるものを選びすぎてどっちつかずになるというのでは本末転倒で、どこかでリスクを取る必要があります。
選択と集中
勉強ひとつとっても、そこには選択と集中が存在します。
結果を出すためにはどれぐらいの範囲をどのぐらいやればいいか。
ここをみきわめられないと、何も結果をだせずに終わります。
「何にでも使える」というのは実は諸刃の剣で、それは「何にも使えない」ということにつながりかねません。
みんなが安全と思い込んでいるその選択は「安心」でしかなく、じつのところ安全ではなくむしろ危険なのです。
英会話教室に通うひとは多いですが、なんで英会話なんですか?
たしかに英語はどこでも使えるでしょう。
しかしながら、英語を勉強するよりも利回りがいいやり方が存在するはず。仕事と向きあえばいくらでも見えきます。
もっと視野を広げてやれば、職場での共通の教育といったものも意味がありません。
共通知として教えるヒマがあったら、その代わりに集中してひとつの分野を勉強したほうが効率的。
いつまでも万能教にしたがってつぶしの利くことばかりやっていては、ここぞというときにリソースをつぎこめません。
汎用性があるものばかりやるというのは、結果として何も残らない。
リスクをとらないこと自体がリスクなのです。
みんなでやることというのはムダだらけで、わざわざ使わないことまで勉強させられます。
それよりだったらひとつの方向に尖らせまくったほうがいい結果が出やすい。
勉強というのは手段である以上、最低限に抑えるべきもの。
目的達成への道が見えたら、あとはひたすら邁進するだけなのです。
日本においては勉強することが良しとされ、みんな何かしらの塾にいきます。
残念ながら、そのようなひとたちが成功することはないでしょう。
成功の秘訣はムダを排除した圧倒的努力にあり、寄り道してるヒマなどありません。