ケチもワガママも悪いことではない
2016/09/25
上の人間から与えられた条件・環境にたいして、大半のひとは疑うことすらしません。
ひとから与えられた条件を疑わないひとは、どこにいっても損をするでしょう。
主導権を相手ににぎられるので、自分のやりたいことができなくなる。
それでは損した人生を送ることになります。
みんなが飲み会にいけば自分も飲み会にいき、みんなが買っているものがあれば自分も買う。
みんながはたらいていれば自分もはたらき、みんなが休んでいるときは自分も休む。
こんな生活、つまらないでしょう。
仲間はずれにされないという点ではいいのでしょうけど、それでは個性がなくなり、自分の存在意義まで見いだせなくなります。
もし楽しい人生を送りたいのなら、自分なりの判断基準をもちましょう。
みんながやる一方であなたはどうなのか。
相手はこう言うけれど、あなたはどう思うのか。
まわりの行動にたいして自分の考えを持って動くことで、生活というものは大きく変わってきます。
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みんなとちがうというのはチャンス
もっといえば、みんなと同じ行動をするということは、必然的に競合が多くなるわけです。
みんながかわいいという子を追い求めていては激しい競争に巻き込まれますし、レッドオーシャン化している市場でビジネスをしても消耗するだけ。
逆にニッチなものについては競合が少なく、ラクに幸せにたどりつけます。
そういう意味で、みんなと違う部分があるというのはチャンスなんです。
親や友人は否定するでしょうが、それはマジョリティから見た場合のはなし。
マイナーな分野では比較的容易にゴールにたどり着けますので、他人と違うものがあるひとは有利です。
たとえば世の中にはB専やD専と呼ばれるひとたちがいますよね。
彼らは競合が少ないので、他のひとよりもはやく幸せになれます。
それについてまわりはめちゃくちゃ言うでしょうが、本人からすれば問題なし。
まわりがどうこうの問題ではなく、本人がよければそれでいいのです。
わがままになろう!
グローバル化が進んでいるとはいえ、日本はまだまだムラ社会。
他人と違うという場合には徹底して叩かれます。
そこでムラ社会の外に目を向けてやると、意外とたのしいことに気づくでしょう。
レールの外というのも捨てたものではありません。
まわりがどうしているか、相手がどう言っているか、ではなく自分がどう思うか。
このような判断基準をもつことで、有意義に時間をつかえます。
そもそもの話、自分とまわりの考え方が100パーセントあうことなどありません。
ケチである、わがままであるというのは幸せの最低条件なのです。