人間関係とコミュニケーションの教科書

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「センスがあれば」という言葉には注意が必要

      2016/09/11


「センスがあれば」という言葉には少々注意が必要でしょう。
なぜなら、大半のものについてはマニュアル化で済んでしまうからです。

センスがなければできないというのにも2種類あって

・本当に生まれつきの才能がなければできない

・努力すればできるが、努力したくないひとの願望があらわれている

の2つに大分できます。

前者については世界で活躍するスポーツ選手など。
こればかりは才能というものがからんできます。
生まれだったり環境だったりが無視できない領域。
運の要素もあるため、努力でなんとかできる範囲を超えています。

んで、問題は後者。
マニュアル化して解決できるものは多数あるのですが、それを「自分にはセンスがないからできない」などといって片付けてしまっています。
お金と同じで、努力しない大衆にとってはそれが手の届かないものであって「ほしい」のです。

柔道の世界でもこれがすごい顕著。
寝技に関しては努力でカバーできる部分が結構ありますし、立技もフィジカルをつければ解決する部分も多数。
強いひとにボコボコにされまくって、それでも勝てないというのなら仕方ないでしょう。
しかしながら多くのひとは「才能がないから」などといって、努力もせずにあきらめてしまいます。

体が弱いなど、よっぽどの理由がない限りは一定の成果が出ます。
極限まで努力しても結果が出ないというのはよほどのこと。
全力を尽くしても結果が出ないというのなら仕方ありません。

 

努力したくないひとによる願望

楽して結果が手に入るのなら苦労しないでしょう。
努力もせずにあきらめるというのでは論理が破綻しています。

何かの結果を得たいのに何の犠牲もないというのは少々虫がよすぎる。
なにかしらの犠牲があって結果が得られるのです。
努力する過程では生活の快適さなどが失われるのも当然のこと。
苦労せずに得られる結果などたかが知れています。

世の中のひとの多くは努力したがりません。
彼らにとっては努力せずに手に入ることのみが正しくて、努力によって手に入る部分なんてのは「幻想」なのです。
そんなんでは結果が出ないのも当たり前。
1日に14時間やれない連中が文句を言ったところで何も起きません。

「センスがなければできない」とか言っているヒマがあったら努力しましょう。
今活躍しているひとたちも、昔は上のひとにボコボコにされて育ったのですから。
最初からうまくできるひとなどいません。努力の末に大成したのです。

努力ひとつとっても、ちょっと考えてみればこんな感じに2通りあるとわかります。
実際には多くのことがマニュアル化と極限の努力で何とかなりますから、基礎的な部分に関してはガンガン攻めるが吉です。

レベルの低い基礎的な部分に関してはそれほど労力を必要とするわけでもないので、どんどん取りに行くべきでしょう。努力のおよばないところまでやってみて、そこでようやく才能の話に移れるのです。

 

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