テレビもネットも使い方が重要 わたしにはマスコミをマスゴミと呼べない
中学や高校では、マスコミが文化をダメにしていると教えられることでしょう。
現に教科書には、そのような内容の文章もあります。
しかしながら、わたしにはマスコミをマスゴミと全否定することはできません。
ネット上でマスゴミと書かれているのを見るたびにそう思います。
ネットでは今日もマスコミは叩かれるばかり。
コメント欄やツイッターにはマスゴミなどの語句が飛び交います。
自分では知的でリテラシーがあると思っての書き込み。マスコミをマスゴミと批判するひとも大変だなぁと…
そもそもの話、メディアというものは中立な視点で考えてなんぼです。
使い分けがカギとでもいいましょうか。
マスコミにはマスコミの利点があり、ネットにはネットの利点があります。
全否定したりだとか疑わないだとかいう行為自体がナンセンスであり、メディアごとに得意不得意があるのです。
つまりはマスコミが完全な悪だと決めつけること自体が間違っており、長所と短所がわかってようやくスタートラインに立てます。
マスコミをマスゴミと全否定するのは論外。そのように決めつけるのはリテラシーが欠如しているという他ありません。みんなにウケる物という視点がなければ、ただの消費者で終わってしまいます。
テレビにはテレビなりのいいところがあり、ネットにはネットなりのいいところがある。
これを理解するのは手間がかかりますが、理解することによってようやくそのよさがわかるというのもあります。
マスメディアが取り上げるニュースもただのニュースとしてはおもしろくないでしょう。
しかしそこに「大衆にウケる」というメタ的な視点が加わると、全否定するということもなくなります。
文化の消費で赤くなってはいけない
職人的・オタク的な考え方からすれば、自分たちのものが趣味や消費物として扱われる様は見ていられないでしょう。
ですが、それが現実というもの。
多くのひとにとっては「趣味=消費、軽いもの」となっており、文化が消費されるというのも必然的なことです。
テレビというのは「マス」メディアです。
つまりは大衆向けであり、基本的に消費されるのを前提として番組が作られます。
これは視聴者の気持ちを考えればわかること。
娯楽の時間にわざわざ堅苦しいお勉強をしたいひとなんていないでしょう。視聴者は楽しさや体験を求めているのです。
ニッチなものはニッチな趣味をもつひとどうしのコミュニティで。
インターネットを使えばクラスタなるものがありますし、ブログを探してみれば似たような趣味のひとが見つかるはずです。
あくまでもテレビは大衆向けのメディアであって、ニッチなひと向けのものではない。
まれにマネーの虎みたいな番組がありますが、ああいうのは本当にまれです。
文化が消費される様子について、顔を赤くしていてはネガティヴな感情ばかりが募ります。
そこは大衆がどんなものを好むかのヒントにして、自分の趣味を他人に伝えるためのヒントにするといいでしょう。
大衆化、メジャー化による変容は多かれ少なかれ存在するもので、それに対して逆らってもあんまり得はしない。
だとすればいいとこ探しをしたほうがよくて、その方が精神衛生上もいいです。
作り手目線が楽しさを倍増させる
メディアやコンテンツは作り手目線というメタ的なものを覚えることで、そのよさがより理解できるものです。
メディアには作り手と受け手がいるわけで、作り手の立場が想像できるようになるとコンテンツを2倍、あるいはそれ以上楽しむことができます。
番組を作っている側はどのようなことを考えているのか。
ウケる内容とはどのようなものなのか。
これらを考え、先入観による否定なしに受け止められるようになれば、見え方もちがってくるでしょう。マスゴミという言葉には消費者の目線が大量に含まれる一方、作り手目線はほとんど含まれません。
こういうのは買い物と似たところがあります。
買い物においても提供する側のことを考えられれば、どこでどのようなものを出しているのかが想像できます。
その予想するのがこれまた楽しいもので、単に消費だけしていては気がつかない楽しさです。
提供者の目線が身につけば、安易にマスコミをマスゴミなんては呼べないはずです。
少なくとも、本心ではそう呼べなくなるでしょう。
マスコミというのも商売であり、視聴者にウケるものを提供しなければならない。
そうであるがゆえに、消費されるような形にならざるをえないのです。
ブログやウェブサイト運営もこれと同じで、読むひとを意識して作る必要があります。
固定の読者を得るにはきちんとしたコンテンツを作る必要がありますし、何よりコンテンツそのものがよくないとPVを稼ぐこともできません。
制作側はネタ探しに日々奔走しており、あらゆるもので書こうと常に思考。
それを読まれやすい形で提供しており、そこには利益という視点が存在します。
提供者の視点を持つというのは駆け引きみたいなところがあります。
これが「予想」ということになり、考える楽しみというのが出てくるもの。
リテラシーがつけば、その駆け引きを楽しむことができるでしょう。
メタ的な視点をもつことで、発信者との駆け引きを楽しむことができます。
リテラシーは意外なところで出る
学校では「マスコミ=悪」という考え方が刷り込まれますが、そんなのは疑ってください。
教えられることが全部正しいという考えは非常に危険ですし、そのような考え方ではメリットを見失ってしまいます。
学校ではお金儲けがいやしいだとかマスコミは悪だとか教わります。
しかしながら、これらをそのまま受け取ってしまうと損をするばかり。
背後に何があるかを考えたうえで判断すべきでしょう。鵜呑みにするというのが一番ダメで、有益な情報を取れるようになってはじめてメディアをたのしめます。
リテラシーがつき、マスコミをマスゴミと呼ぶクセが直れば、さまざまなところにいい効果がでてきます。
公平な観点や作り手目線から見ることができるほか、より円滑な人間関係を築けるというメリットもあります。
わたしの身の回りにはマジョリティの意見が絶対だとか、お金について話すのは卑しいとかいうひとがたくさんいます。そのようなひとたちは決まって「正義」なるものを振りかざし、こちらに襲いかかってきます。
彼らが柔軟な考え方を持てることもありません。面倒見もあんまり良くありませんし、そもそもギスギスした人間関係になりやすいです。
そこでもし公平な視点から見ることができれば、どれだけやりやすいことでしょうか。
ある程度ドライな人間関係になるとはいえ、かえっていい感じの関係が築けます。下手に年上だからといって価値観を押し付けることもありません。
リテラシーがなく、メディアを全否定しているひとというのはトゲトゲしい感じがします。
否定する理由にも「みんなが言っているから」「なんとなく」といったものが多いです。
否定が趣味な生き方というのは、そこまで心地よいものではないでしょう。
くだらない「正義」はとっとと捨てちゃってください。
マスコミをマスゴミと呼んでいるひとたちは、マスコミのいいところにも着目してみてください。
情報源のひとつとして使えるようになれば、マスゴミと呼ぶこともなくなるでしょう。
マスゴミ呼ばわりするというのはそれだけ気にしている証拠であり、興味がなければそもそもマスゴミなんていうことばはでてきません。
せっかく意識するのであれば、マスコミのいいところを意識することで何倍も楽しめます。
一歩引いて客観的に考え、思考と試行をくりかえす。リテラシーというのは身につくのに時間がかかるもので、そう簡単には身につきません。
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