人間関係とコミュニケーションの教科書

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WordPressも捨てたもんじゃない 敷居の高さも使いよう

   


「これもっと簡単にできるよね。なんでこんなに難しくしてあるんだろう。」
ブログにしろ何にしろ、こういうことはたくさんありますよね。

ブログ方面でいえば、Wordpressとその他のサービスみたいな。
Wordpressはある程度プログラミングができる人向けです。
便利なテンプレもあるんですが、それを見つけるのにも情報収集が必要。
ほかのブログサービスと比べると敷居が高いです。

一見すれば不便ですが、わたしはこれにも一定の合理性があると考えます。
それはリテラシーでフィルターがかかること。
ある程度自分で調べられたりするのが前提になるので、必然的にリテラシーのある人のみが残ります。

もし簡単に文章を書けて、簡単にデザインを変更できるようであれば、リテラシーのない人でも使えてしまいます。そのレベルのリテラシーしかない場合、どうでもいいような記事しか書けないのは目に見えていますよね。

これは大学受験と似ています。偏差値の高いところほどリテラシーのある人が集まるアレです。
偏差値が高いところだと分別のある人が多いですよね。つまりはそういうこと。
受験の時点でリテラシーが要求されますので、理解のある人が集まるのも当然です。

逆に、偏差値が低いところはリテラシーも悲惨。
聞く所によると、偏差値が低い大学にはリテラシーのない人ばかりが集まり、衆愚になりかねないんだとか。記事に書いてあることが理解できないとかあるらしいです。

 

面倒臭さは一種の障壁

こうして考えると、面倒臭さもある種の障壁になっていることがわかります。
上記の例でいえばリテラシー。現実には他にも経済的なバリアなど、さまざまなものが参入障壁として存在しています。

もしまともな人との出会いを期待するのなら、障壁があるところに赴くのも手でしょう。
課金が必要なサービス、難しい用語が飛び交う環境、etc…。

そのような環境にはバリアを超えてでもやりたいという熱意ある人や、バリアを超えられるだけの能力ある人が集まります。

意思の弱いやリテラシーのない人は弾かれるので、集まる人のレベルが全体的に上がるのです。

ただし、いくらバリアがあるとはいえ「必ず」はありません。
バリアが高いところでも能力のない人は一定数存在します。
あくまでも有能な人の割合を高めるというだけで、100%を保証するものではないのです。

もし100%を保証するのであれば、博士の就職問題やブラック研究室はなくなるでしょう。
リテラシーのない層がそれらの問題の原因です。
すなわち、いくら偏差値の高い大学であってもリテラシーのない人は一定数存在し、みずから搾取されに行く。

旧帝の学生全員がリテラシーあるというのなら、そもそもブラック研究室自体がありえません。自分で判断できない人がいるから問題化しているのです。

以上のことをまとめると

障壁が高いところは優秀な人の割合も高いが、100%優秀な人で埋まるわけではない

ということになります。
これを「優秀な人と会うには高い参入障壁が必要」「障壁は意味をなさない」だとか考えるのはナンセンス。単に事実として受け止め、バイアスなくやっていかなければなりません。

ちょっと前にnoteの有料記事について論争がありましたが、本質的にはこれと変わりません。
有料という障壁は平均を上昇させるものであり、必ずしもいいコンテンツばかりというわけではありません。

しかし面白いコンテンツの割合が高くなるのも事実。それをリテラシーのない層がバイアスかかりまくりで騒いでいるだけなのです。

 

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