人間関係とコミュニケーションの教科書

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リテラシーが低いと情報のバイアスから逃れられない

      2016/09/11


メディアリテラシーが低いことの何が悪いのか。
これにはさまざまなものがありますが、そのひとつとして

情報のバイアスから逃れられない

というものがあります。

どんな記事であれ、主張というのはついてまわります。

もしリテラシーが低いと記事に書かれていることを見抜けず、間違った行動をとるということにつながるでしょう。
つまりは客観視ができないということです。

 

情報のバイアスから逃げられない

たとえば、お金に関するテレビ番組。

番組自体は視聴者ウケを狙って「お金で幸せは買えない」だのやるわけです。
その内容には弱者の文化みたいなバイアスがかかるわけですが、リテラシーが弱いと内容を鵜呑みにして「確かにそうだ!カネで幸せなんか買えねぇ!カネなんてゴミだ!」みたいに考えてしまいます。

ちょっとリテラシーがあれば、内容にバイアスがかかっていることぐらいわかるはず。

その番組がウケを狙っているということに気づけるはずです。

リテラシーがあるなら、そのような番組はヒントの宝庫でしょう。
なんせ数字が出てくるもので、それら全てをあてにするのはマズいですが、参考になる部分もあります。

記事や番組にかかっているバイアスに気づき、自分の意見を持てるようになる。

リテラシーがあればこういうことができるのですが、リテラシーがないと振り回されてしまいがち。結果としてリテラシーのないひとが消費者になることにつながります。

 

先入観はバイアスを生む

先ほどの例では書き手側がバイアスを生じさせていましたが、今度は読み手側が自分でバイアスをかけてしまう場合について説明します。

同じ記事でも、バイアスがある場合とない場合とでは見え方もちがってきます。

読み手側がバイアスを作ってしまう原因としては

・お金がいやしいという刷り込み
・でもでも症候群
・読書量のなさ

などが原因としてあげられます。

1つ目については先ほどのテレビ番組の例についてもあてはまり、視聴者と作り手の両方がバイアスを生じさせています。
お金がいやしいという刷り込みがあるために、視聴者は実業家のサクセスストーリーを「お金儲けは悪だ」みたいな前提で見てしまうのです。

2つ目と3つ目は「あ、この手の話か」みたいな視点についてです。
書いてある内容に過剰反応する場合、その多くはネタを知らないか素直に受け止められないかのどちらかです。
それゆえに、ビジネスの話を聞いた日には「この話はインチキだ」みたいな先入観が先行してしまい、曲解してしまうこともしばしばあります。

上記のような原因によって、読み手は客観的なデータにすらバイアスをかけてしまいます。
グラフで示されたデータを見て大騒ぎしたり、話の趣旨を変えてしまったりと、目も当てられない。

一歩引いた視点というのができなくなるんです。

 

同じ記事でも見え方がちがってくる

このあいだは「インプットがアウトプットを決める。生活を変えるのは効果が大きい。」みたいな記事を書いたわけですが、ブクマや返答記事では「やり方次第でなんとでもなる。マイノリティだのリスクだのってなんだよ」のようなコメントがありました。

結局、言いたいことが伝わるはずもなく。想定内といえば想定内なのですが…

記事の趣旨は昔から何回も言われていることですが、それを実行するのはめちゃくちゃむずかしいです。

なぜなら、それを実現するには経済力や人脈、ビジネスノウハウなど、さまざまなものが必要になるから。
アウトプットにおよぼす効果は莫大なのですが、金銭的リスクとのバランスを考えなければなりません。

生活を変えろというのは具体的な提案であり、効果が高いやり方のひとつでもあります。
それが答えだというのにもかかわらず、先入観がジャマしているのです。

あの記事を書いたわたしですら「やばいぞ。なんとかせねば」と思っているのです。
つまりはそれだけ大事なことなわけで、小手先の戦術レベルの話では済まされません。

移住しろだの会社やめろだのといった意見は非常に効果的なやり方なのですが、聞く側が最初からインチキとしか考えていないのではねつけられます。

書いてあることがわからないというのは、キーワードを知らないということでもあります。
キーワードを知っているのと知らないのとでは、理解度がちがうのも当然のことです。それによって反応もちがってきます。

 

低リテラシー層にとって、真実は自分の中にある

結局のところ、低リテラシーなひとびとにとって、真実は自分の中にあるものです。

すなわち自分にとって都合のいいことばかりが見えてしまい、それが真実となってしまう。
情報を与えても情報として受け取られることはなく、情緒に変換されます。

「お金は人生を幸せにしない」的なコンテンツを見て、「そうだよな」みたいに思っているうちはまだまだでしょう。
弱者の文化にむけて味付けされたものと考えなければなりません。

しかしながら、そのような現実と向かい合うのは結構なものがあるでしょう。
お金がいやしいという思い込みによって、「自分の感じること=正しいこと」のように感じてしまいます。

インプットの話でも、この傾向は顕著にあらわれます。

環境や付き合うひとを変えることに対して、否定的なバイアスがかかっていては要点を見逃します。
生活を変えろと言われてドキッとくるならいいのですが、揚げ足取りとかして否定してしまうのはよろしくない。
バイアスがかかっているとドキッとすらしないのです。

ちょっとやそっとの工夫でアウトプットが劇的に改善されるのなら、誰も苦労していません。

「自分はリスクを負いたくない。でもリターンだけは欲しい」みたいな考え方では、アウトプットを変えるなど到底ムリでしょう。

しかしながら、リテラシーがないとそのような思考に陥っていることすら気づけない。
悲しいことに、低リテラシーな人々にとっては「自分なら何の苦労もなしにアウトプットを変えられる」というのが真実なのです。

 

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