人間関係とコミュニケーションの教科書

はたらくあなたに伝えたい、人間関係の知恵とノウハウ

*

わたしがブログと動画を区別しない理由

      2016/09/11


わたしはTwitterでリストを作っていますが、先々月あたりからリスト名を変えています。
どう変えたかというと、

旧:ブロガー
新:ブロガー・作家・メディア運営

参考:https://twitter.com/murasa_kai/lists/list1

こうしたのにもちゃんと理由があります。
それは区別するメリットが見当たらないというものです。

分散型メディアをやっていて感じるのは、みんな音声や動画、画像を文字と組み合わせています。
文字だけにこだわるメリットはそこまでなく、場合に応じて使い分けている方が見やすいです。

また情報収集という観点でも、動画まで見たほうがやりやすいように感じます。
実際ブログだけだと集まる情報量が足りなくて、さまざまなメディアを広く見たほうが効率的に情報が集まります。

これらの理由から、わざわざブログとそれ以外で線を引くメリットは小さいです。
インプットの幅を増やすことはメディア運営者として欠かせませんし、ブログだけを読むのでは視野が狭まってしまうでしょう。
そのため、作家やメディア運営というくくりにすることで境界をなくしています。

 

メディア運営者というくくり

メディア運営者というくくりはさまざまなタイプのひとが集まっておもしろいです。
ブロガーだけでやるのってあんまおもしろくないですし、得られる情報にも限界が出てきてしまいます。

他の分野の人間とかかわることには、発想力の向上という大きなメリットがあります。
今自分が取り組んでいる分野について、別の分野のノウハウを持ち込むと問題解決が簡単になることは思いのほか多いです。

これはノウハウの使い回しに似ているところがあって、一見して異なる分野であっても本質的な部分が同じというのはかなり存在します。むしろまったく違うものを探す方がむずかしく、ほとんどのものはどこかに共通点を持つものです。

YoutubeやInstagramでの集客技術はブログに転用できますし、その逆もしかりです。
メディアというくくりで見たほうが柔軟な発想が出てきやすく、細分化する利点はありません。

「文字VS動画」なんてくだらない論争をしているヒマがあったらコンテンツをひとつでも多く投稿した方がいいですし、もしくはちがう分野の勉強をして裾野を広げるのも手です。

わたしがこのような考え方をもつのは前からで、高校のころから身につきつつありました。

 

 

「オレ様の領域」的な考え方だとどうしても視野が狭まってしまいがちです。
そこにはイノベーションのかけらもありません。
自分の分野に固執せず、外部の考え方を積極的に取り入れていくというのがわたしの考え方です。

 

好奇心は欠かせない

情報収集においては好奇心が重要です。
新しいものを拒絶しないというのは、それだけ拾える情報を増やすということにつながります。

自分の分野だけを見るというのはそれだけムダが出やすいということでもあり、あまりメリットはありません。
それよりかは異なる世界での考え方を受け入れられるようになったほうがいいです。

「この話は自分には関係ないから」といって拒絶してしまうと、貴重な情報を捨ててしまうでしょう。
基本的には浅く広くという姿勢で情報収集し、必要なときだけ深く突き詰める形のほうがベターです。

ムラ社会的な思考から逃れ、柔軟な見方ができるようになれば、見える世界も変わってきます。
今までは理解できなかったものについて理解できるようになり、意外な価値に気づけるはずです。
複数のものの組み合わせについてはできるひとが少ないので、こういうのができるひとはしぶとくやっていけるでしょう。
ひとつの分野ができるひとは多数いても、いくつかのことが一定レベル以上できるひとは少なく、みんなやろうともしません。

固執するクセはあなたの成長を妨げます。
好奇心を失わないというのは思いのほか重要で、新技術を積極的に取り入れていくことにもつながります。
このようなモノづくり的な発想は慣れないうちは違和感だらけですが、慣れると非常に便利です。
やることひとつひとつがおもしろく感じられるようになり、またイノベーションも生まれやすくなります。

 

まとめ

ブロガーVSアフィリエイター論争、ゼネラリストVSスペシャリスト論争はハッキリ言って生産性があまりありません。
それらは選択と集中という考え方で片付いてしまいます。
どれぐらいの範囲をどのぐらい深くまでやるかはごく基本的な考え方ですが、分野に固執する姿勢があると意外と気づきづらいです。

論争から無縁なひとは、優秀なものをバンバン生産していくでしょう。
世の中にある論争の大半は論争「ごっこ」であり、かかわってもいいことがほとんどありません。
それにもかかわらず、みんなそういうのにこだわってしまうのです。
そうして楽しんで取り組んでいるひとたちに、利益の大半を持っていかれます。

 

あわせて読みたい

 

 

 - IT, メディア論 , ,