人間関係とコミュニケーションの教科書

はたらくあなたに伝えたい、人間関係の知恵とノウハウ

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人間関係にドライさを持ち込むメリット 適度な距離感が犯罪から身を守る

      2017/01/09


ドライな人間関係は、一般的にはあまりいい印象を持たれません。
しかしわたしとしては、人間関係においてはある程度のドライさが必要だと考えます。

お金やルールで仕切られた人間関係は、イメージとちがって意外と快適です。

一見すれば無感情でぎこちないかのように見えますが、実は健全な人間関係に必要なのはドライさだったりします。

双方が気持ちよく過ごせる関係にはある種のドライさがあるもの。
ルールやお金でやり取りするというのは味気ないでしょうけど、それがないと人間関係は悪化してしまいます。

癒着レベルの関係というのは不快感や搾取構造を生み出したり、違法行為が正当化されたりしてしまうでしょう。
この事実はパッと見では気づきづらいですが、多くのひとと付き合ううちにわかってくるものです。

ブラック企業・ブラックバイトはお金をいやしいとし、悪い意味でのアットホーム感がはびこります。

お金をいやしいとする風潮はマネーリテラシーの低下につながりますし、また数値でものを考える機会を消してしまうもの。
ドライな人間関係にはお金で考える能力が欠かせませんし、数値やルールで仕切ることによって人間関係がスッキリとしたものになります。

お金というのは数値で考える機会を与えてくれますので、それがいやしいとなると大変です。

大学におけるブラックさは、不健全な人間関係の典型です。

教授が学生に仕事を押し付けたり、教授や准教授、助教授が裁量労働制で働いたりなど、下請け構造や曖昧な部分が多分に存在します。
どこまでやればいいのかがハッキリしないため、必然的にブラック化してしまいがちです。

裁量性労働というのはブラック化のわかりやすい例であり、大学のみならずさまざまなところで見られます。
どこまでやればいいというのを自分で決めないといけない一方で、自身のアウトプットに対しては高い確率で批判がつくため、ブラックになりやすいです。

やりがいや精神的な満足、承認欲求、つながっている感。
それらが前面に押し出される場合というのは搾取構造が隠れている場合が少なくありません。

やりがい搾取のようなブラック構造は「なんとなく」なやりとりに起因するもので、ルールではなくモラルで仕切られていることが結果として問題発生につながっています。

もし学術の世界にルールで仕切ることが持ち込まれれば、どれだけ多くの問題が解決するでしょうか。
数値で考えるひとが増え、成果主義が増えれば、どれぐらい癒着がなくなり、ブラック問題が解決するでしょうか。

やることをハッキリさせる、数値で管理するというのはルールによる人間関係であり、ドライな感じがあるかもしれません。
しかしそのドライさや距離感が搾取構造を防ぐのです。

世の中のブラック環境の大半は、ドライさが欠けていることによるものです。

ルールがはっきりとしていないからこそ違法な搾取構造がまかり通るわけであって、ルールによって動くことを徹底すれば大抵解決できます。

ルールで管理することに慣れていないひとはそのドライさに対して違和感を感じてしまいがちですが、そこで素直に実行することでおもしろいものが見えてくるでしょう。

身の回りの搾取構造に気づき、ブラックの本質に気づけるようになるはずです。

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曖昧は面倒くささのもと

人間関係における曖昧さは、後の面倒くささのもとになります。
感情で仕切るようなやり方は不公平を引き起こし、搾取構造を生み出すものです。

お金がからまないにしても、お互いにどこまで関わりあうかはハッキリさせておくべきでしょう。
人間あまりに深いところまで入ってこられると厄介なもので、適切な距離というものが存在します。

一定の距離をキープしたまま付き合うというのが快適さの秘訣です。

「距離のある人間関係はよくない」というのは、よくよく考えれば危険な考え方です。
癒着するほどまでにくっついてしまえば、そこには精神による支配が生まれます。

そうなってしまったら最後、不公平なやりとりは避けられません。
情にあふれる人間関係は実はそこまで健全なものではないのです。

ビジネスライクな関係と聞くとドライさを思い浮かべるでしょう。
そのような人間関係は冷たく見えますが、適度な距離をとっているとも言えます。
体感的にはこっちの方が快適さは上。ある程度の距離をとってルールでやり取りするというのは健全な人間関係の基本です。

 

ルールで仕切ることでやりやすさが生まれる

健全な人間関係のカギはルールにあります。
モラルを重視する関係というのは精神的な満足はあるでしょうが、それですべてをやろうとするというのはよろしくありません。

親しき仲にも礼儀ありのように、ある程度の決まり事を持っておくほうが居心地のいい関係になるもの。

ポイントはハッキリとした境界を引くことです。

ラインを引くと、「こんなものまでダメなの!?」みたいなのがあるでしょう。
そこで妥協してはいけません。
お金を借りるクセのある友人に対して甘くしてはいけないように、ルールによって仕切るのを怠ると問題が大きくなってしまいます。

小さなところでちゃんとやれないと、スケールを大きくしたときにルールを守るというのもむずかしくなるのです。

また、どこまで許すかというのを決めると、そのルールに接触しない限りは自由になります。
つまりはやってはいけないこと、突っ込んではいけない領域がハッキリします。

それ以外の部分では自由ということになると、開放感が出てくるもの。
お互いのプライベートな領域もあって損はしません。それどころか快適さを生み出します。

 

境界を決めないとズルズルいってしまう

いちどビシっとルールを決めたら、それを遵守するように心がけましょう。
変わってばかりのルールでは存在する意味がありませんし、癒着を生み出してしまいます。

特にお金まわりでは、ルールをきちんと決めておいた方がいいです。

関係が悪化する原因はたいていお金にありますし、またお金によってラインが引かれる部分もあります。
境界がハッキリとしない関係というのは意外と過ごしづらいもので、判断基準となるルールがないことで動きづらいというのは否定できません。

どこをどうしたらいいというケーススタディがあるだけでもだいぶ違いますので、時間のあるときに話し合っておくというのは効果的です。

判断に用いるルールが決まっていれば、迷うということもなくなります。
戦略レベルでの考え方を共有しておくことで、スムーズにことが進みやすくなるもの。

眼の色をうかがって居心地の悪さを感じるということも避けられますので、覚えておいて損はない考え方です。

 

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精神的な満足感で動くひとは注意

精神的な満足で動くプロモータータイプ、サポータータイプのひとは、モラルによる関係を好みます。
しかしながらそのような関係が100パーセントいいというわけではありません。

精神的な満足や安心感というもので動く場合、どうしてもその場の空気で動いてしまいがち。
また一緒にいることに充実感を感じるというのも、ベタベタした関係を生み出す原因になりやすいです。

承認欲求というのも、ルールで仕切ることを覚えるうえでは邪魔になるでしょう。

誰かに認めてもらうという時点で判断の基準が他人の感情次第になってしまいますし、下手をすれば利用されるということにもつながりかねません。
ヨイショヨイショされて苦しんでいるひとはあまりにも多く、プライドの高さゆえに悩むひとは多数。

その点、数字に快感を覚えるひとは強いです。

さらに、精神的な満足感で動くというのは、時として本質を見誤ることにもつながります。

自己満足やまわりとの和を優先させれば、たしかに一時的な気持ちよさはあります。
しかしそこでルールや目標を見失ってしまってはダメで、破ってはいけないルール、最初に立てた目標を妥協してしまっては、どんどんレベルの低い関係になってしまう。

多少キツいものはありますが、ルールを重視する関係というのは境界があやふやになるのを防ぎ、また適度な距離感を保ってくれます。

 

やりがいは搾取の原因

やりがいを理由に何かをやらせるというのは、ブラックな搾取構造の原因になります。
「やりたいことをやっているんだから辛くてもいいだろ」と言われる場において、わたしはいい顔をしません。

精神的な充実が前面に出される場合、そのほとんどがマトモではありません。

癒着によるやらせや搾取が当たり前のように存在しますし、違法行為に巻き込まれることもあります。
情によるやりとりがある場合には、そのようなものには十分注意すべきです。

最近だと上下関係を使っての犯罪行為や、大義名分による正当化が目立ちます。
人間関係やマジョリティという要素を目の前にしても、そこは距離を置くべきところです。

一時的には煙たがられるかもしれませんが、そこは我慢。
犯罪に巻き込まれることよりも何倍もマシです。

情によって違法行為が正当化される様は、本当に見ていられません。
もし身の回りに情で動くものがあれば、警戒しておいて損はないでしょう。

やりがいや情で動くものというのはそこまで期待できるものではなく、なるべく避けるべきものです。

 

みんなが不正をしても加担してはいけない

もしあなたがその場の空気で動くひとの場合、ルールに背く判断をしたりしないよう注意してください。

たとえ不正を強要されたとしても、そこで応じてはなりません。
応じてしまえば一時的な快楽は得られますが、そこで不正をしたという事実は残ってしまいます。

もっとも、場の空気で動くのがクセになると、不正をしたという事実に気づきづらくなるというのもあります。

不正会計問題なんかはその典型で、ルールで仕切ることが身についていれば防げた可能性もあります。
しかしながら和を強要する社会では、そのようなことは身につきにくい。

結果、目先の利益にばかり目がいってしまい、数字をごまかしてしまうのです。

まわりがみんなやっているからといって、それが問題である場合には加担してはなりません。
場の雰囲気や精神的なものが基準となってしまった場合、どうしても違反には気づくことができないもの。

ルールを基準として動くことができれば、周囲の異常な行動にも気づくことができるでしょう。
あらかじめラインをはっきりとさせ、それを意識することで、致命傷を防げるのです。

法というのはみんなが守る必要のあるルールです。
そうである以上は覚えておくべきものですし、それこそ本質を理解することが求められます。
しかし現実にはその重要性が語られる場面は少ないですし、その大きなルールを意識することも少ない。

そのため多くのひとが精神的な、ぼんやりしたもので動いてしまいがちです。

 

承認欲求は搾取や後悔をよびよせる

ひとに認められるのが生きがいというのは聞こえはいいですが、それが本当のものである場合、よろしくない効果をもたらします。

プライドを捨てられないがためにどうしようもなくなったり、褒められることそのものが目的化して激務に突っ込んでいくということにもなりかねません。

数字ではなく褒められることが嬉しいという場合、目標設定はぼんやりとしたものになってしまいます。
「あのひとのためなら」みたいなのが強くなってしまい、気づかないうちにハードワークになってしまうことも。
そういうのが体を壊すのにつながるのは言うまでもありませんし、体に過度の負担がかかってしまうもの。

ある一点で一気に破裂することもありますので、あんまりいいとはいえません。

また、プライドが高いというのはそれだけでデメリットです。

本来であればとれる選択肢も、プライドが高い場合にはとれなくなってしまいます。
どうしても困ったときには頭を下げ、問題解決を考えるべきでしょう。

致命的なミスをしないひと、立ち上がれるひとというのは案外プライドが低いもので、自分の状況に対して淡々と改善する方向に向かっていくものです。

真のブラック企業は、そのブラックさを感じさせないといいます。
応援団とでもいいましょうか。

「あのひとのために」というのを意識させ、それで動機づけをする。
いいひとを演じることで、自然とハードワークが生み出されるのです。

 

まとめ

結局のところ、人間関係というのは適度な距離が必要です。
意思疎通ができないのは問題ですが、癒着するぐらい近いというのもこれまた問題。

近すぎる人間関係は快適さや公平さを失わせる要因になります。

孤高のひととなるのは勇気がいることですが、時としてそういうのが大切な場面もあります。

たとえ煙たがられたとしても、周囲にしたがって自分の人生が台無しになるというのでは元も子もありません。
ムラ社会のなかで孤立するというのは勇気がいりますが、健全な人間関係のためには仕方ないでしょう。
距離感のある人間関係というのも覚えておくべき付き合い方です。

ルールによって動くというのは、精神的な面で強くなります。
誠実さをともなわない要求を突っぱねることができますし、またロジックやメカニズムを意識した考え方ができるようになります。

論理的に考え、ルールで動くことができれば、あなた自身が過度に消耗するということもなくなるでしょう。
精神的な満足感は減るかもしれませんが、心や体が壊れることに比べれば何倍もマシです。

 

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