教育現場のブラックさは日本の金銭教育をそのまま反映している
2016/09/11
とうとうブラック企業大賞2015に明光義塾がノミネートされてしまった。
塾業界全体がブラック化する原因というのは色々あるが、その一つに日本の金銭教育がある。
日本ではお金の話はタブーとされている。
お金が卑しいという考え方自体はかなり昔から存在するが、一向に消える気配がない。
そのような考え方は広く普及していて、日常生活の色々なところで見ることができる。
政治関連の話題では「カネと権力」という表現が使われ、カタカナ表記することで異質なものであるかのように表現される。
また、日常の会話ではお金の話をすると途端に静まり返り、白い目で見られる。税金の話をした日には村八分だ。
このような考え方を刷り込まれる原因は多岐にわたる。
学校教育、親の教育、友人、etc…。
日本で教育する側の人間は、お金が卑しいという風潮を盲信する人が大半である。教える側がそんな人間ばかりなので、教わる側もそうなってしまう。
お金は卑しいという考え方は士農工商の時代に始まったもので、時代がすすむにつれそれが悪用されるようになった。
庶民がお金の知識を得るのを防ぎ、既得権益を守るためにそのような風潮を広めたのである。
これも下の身分のものが力を付けるのを防ぐためだ。
当時は商人が力をつけてきていたので、武士たちはこのままではマズいと思い、お金稼ぎは卑しいという考え方を広める。
結果、生活に必要なはずのお金が汚いものという矛盾した考え方が広まってしまったのである。
お金稼ぎはよくないだとか、あぶく銭は使ってしまえという考え方が広まるのは、既得権益層からすれば得だ。
世の中にお金に無知な人が増えることによって、商人は商売がしやすくなるのである。
貧困層はメディアリテラシーに欠けるので、そのような風潮を信じて疑わない。
そのため、お金を悪とする考え方はなかなか消えないのだ。
上記のように、お金を悪者扱いする風潮が広まれば、経営者は思いのままである。
お金の話をする従業員がいれば「カネのために仕事してるのか!」などと脅し、弾圧することができる。
結果、経営者は賃金を踏み倒すことができる。
塾業界の件に関してもそうであり、仕事に対して適切な賃金が支払われないという状況になってしまっている。
本来、お金は信用を表すものであるのだが、経営者の利益を守るために汚物として扱われているのだ。
ブラック企業を作っているのは、お金が卑しいという考え方に他ならない。
お金のことをあまり知らない人が増えるというのは日本の教育がそうしているからである。
お金について知識をもつ国民が増えれば怪しい商売も減るだろうが、そのようなことはおそらくないだろう。
リテラシーのない人が搾取されるという構図は、これからもずっと続いていくと思われる。